最近、命について考えることが多すぎる
皆様こんにちはこんばんは!大学生音楽系YouTuber、さきまふぃんと申します。
今回のテーマは「最近、命について考えることが多すぎる」です。
ごゆっくりどうぞ~!
今回は雑記みたいなものになります。
この春、3月のこと。僕の祖父が亡くなりました。僕がちょうど大学受験大詰め、というところで倒れ、入院。その後は小康状態と危篤状態を行ったり来たりという感じでした。
約一年間という時間。意識も戻らず、会話もままならず。最後に、元気な姿のおじいちゃんを見たのは、いつだったろうか。
短かったような、長かったような…いや、やはり短く感じたこの時間。何もかもがあっという間に過ぎ去り、時々お見舞いには行っていたものの、残るのは「後悔」。
もっと、様子を見に行ってあげればよかった、もっと、話しておけばよかった、果てには、一緒にお酒を呑んでみたりもしたかった…。色々な思いが、後からあとからになって、胸を満たしてゆきます。
2ヵ月ぐらいですかね、経ってからようやく安定してきました。進級してから心を張りに張り詰め、ほぼガムシャラに勉強してきましたが、その中で我を見失いかけていたのは、祖父の死って結構大きかったのではないかな~と、今になってつくづく感じさせられますね。
また、祖父の死からだいたい1週間が過ぎたある日。バイト終わり、電車で帰っていたとき、それは起こりました。
普通に、電車の椅子に座って、リステップしてたんです。いつも通り。
発車からしばらく。車体が揺れた際に、とある男性がバランスを崩し、金属の壁に頭を打ち付け、倒れてしまいました。周囲のお客さんが立たせて、一時は大丈夫かと思われた、その時。
その男性が、再び倒れたんです。
で、近くのお兄さんが椅子に座らせましたが、目を開いたまま意識が飛んでた状態で、これはもうただ事じゃないということで、僕も加わり、数人がかりで対応にあたりました。
お兄さんが車掌さんを呼びに行き、とある駅で電車を止めていてもらう間、僕は呼吸と意識の確認をしました。
僕「この手の動き追ってください!見えますかー!?」
と数度問いかけるも、反応なし。目を開いたまま意識混濁状態になっていた感じですかね。
[ちなみに、こういう質問をしたのは、意識混濁状態の人間って「大丈夫ですか?」とか「見えますか?」といったYES/NOクエスチョンをしちゃうと、曖昧に「はぁい」とか答えがちだからです。こういう時は、YES/NOで答えられない質問をしてあげるのが適切です]
そこで、後ろにいた別の男性が「119番通報した方がいいですね」と言ったのをきっかけに、僕が119番通報をしました。
場所とか男性の状態とか詳細な情報を伝え、車外に出て、様子を見ていました。
そして、しばらくして男性の意識は戻りましたが、救急隊への引継ぎまで行い、あとはお任せして帰宅。
[で、後から調べて分かったことなんですが、頭部を強打した後は脳内出血や組織の壊死などが十分に有り得るので、意識が戻っても病院へ行く必要があるらしいので、僕の対応は正しかった…と思いたいですね。ただの脳震盪の可能性もありますが、大事をとって…ってことですかね]
もう、帰宅後は、何故か恐怖で打ち震えてましたね。
…とまぁ、最近こんなことが起きて結構個人的には精神が病みそうになったタイミングがありましたが、記事に書き起こせるくらいには頭の中で整理が出来てきたので。てことで、最近の自分の気づき、みたいな感じでまとめさせてもらいました。
今回も記事をご覧頂き、ありがとうございました!良かったらYouTube上の動画も見てやって下さいね(*´꒳`* 、
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